20歳頃、人間関係に行き詰ったことがある。 半端な正義感と、コンプレックスが原因だった。 社員寮にも居づらかった。 仕事が終わると、ただ街をぶらついていた。
街中の公園脇の、3階建ての雑居ビル。 その2階にあった喫茶店が、僕の避難所だった。 ビルの階段を上るとき、一人になれた気がした。 色々な事から、逃げていたに過ぎなかったけど。
お店は、40歳過ぎのマスターが一人だけ。 細身で小柄、手入れのいい口ひげ。 いつも小ぎれいなシャツとネクタイ。 少し長髪の、品のいい感じの人だった。
店内には、いつもジャズが流れていた。 CDが出回る前の時代。 DENONのプレーヤーが印象に残っている。 特に、マスターと会話をすることはなかった。 ただ僕が行くと、静かな調子の曲がかかった。 9時過ぎに、追加でビールを頼むこともあった。 その店だけが落ち着ける場所だった。
ある日、追加のビールを頼んだときだ。 「バドワイザーでいいよね」と声をかけられた。 いつも同じ銘柄なのに、少しわざとらしい感じ。 だけどそれがきっかけで、話せるようになった。
少し理屈っぽく、淡々と話す人だった。
「そこのドアを開けてお客さんが来るでしょう」
「・・・はい・・・」 「その時の気持ちのまま帰すのが、基本なわけ」
「そうなんですか・・・」
「ただ話しかけられたら、それなりにお相手する」
「・・・・・」 そんな内容の会話もしたと、憶えている。
気にしてくれていたのかも知れない。 僕はこの頃、文庫本を持ち歩いていた。 ただし、ただの小道具としてだ。 本を開けば、不必要に話しかけられずにすむ。 そんな小細工も、とっくに見抜いていたらしい。
やがて日が経ち、軽いイタズラをされた。 グラスの水が、ウォッカにすり替わっていた。 「飲みにいこうか」と、笑いかけられた。 誘われたことが、とても嬉しかった。
実はマスター、独り者だった。 一緒に飲みに行ったスナックの人から聞いた。 僕は、そんなことも知らなかったのだ。 意外に、飲むとはしゃぐ人だとも知った。
他人との関わりが、わずらわしいこともある。 それならば、全く一人のほうがいい。 そう思うのは個人の自由だ。
だけど、無言で優しい人だっている。 何気なく、見ていてくれる人もいる。 そのおかげで、人生が少し変わることもある。
今日は、こんな話をしたかった。 ちょっと、思い出しただけ。 |