結婚後、2匹の猫と暮らしました。 そのうち1匹は19日間だけの家族でした。
その小さな命が、僕に教えてくれました。
5年半前、単身赴任先でのことです。 職場の近くに、子猫が5匹捨てられていました。
5匹とも「ソマリ」という種類の猫に似ていました。 むしろ、微妙に雑種の血が混じっている感じ。 ただ事情がどうであれ、無責任な話です。 北海道の11月の初めの頃のことです。 これは見殺しも同然の捨て方なのです。
そのうちの1匹を僕が引き取りました。 週末、車に乗せて自宅に連れて帰りました。 でも相当に弱っていたようです。 お腹に「虫」もいたし、下痢がひどかった。 長生きさせるのは難しいとも思えました。
近所の獣医さんも長生きの保証はしませんでした。 「虫下し」の薬は飲ませなければならない。 しかし、下痢が続くのは子猫にとり命取りなのです。 体力が著しく落ちて、心臓にも負担がかかります。 すでに食も細く、鳴き声も弱々しい感じでした。
それでも、生きることへの気持は強かったようです。 少しづつでもエサを食べ、水を飲んでいました。 ヨタヨタとしか歩けないクセに、食べることに必死。 とにかく生き抜こうとしているのが解りました。
食べなければ死んでしまう。 しかし、食べても下痢がひどくて弱ってしまう。 どちらを選んでも、子猫には苦しいのです。 すでに鳴き声が出せないほど弱っている。 それでも、生きるために必死で食べていました。
病院に連れて行き、点滴もしました。 それで一時的には元気になったようです。 僕が最後に見た週末には体重も1kgに。 このまま大きくなれる希望もありました。 しかし結局、翌週の火曜の朝方に亡くなりました。
ただ、その亡くなり方が「壮絶」でした。 猫は歩いた姿のまま、倒れていたのです。
居間の暖かい場所に猫の寝床がありました。 妻のベッドまで6m程の距離の位置です。
猫はどうやら、この距離を歩こうとしたらしいのです。 死ぬ直前に妻を起こそうとしたのでしょうか。 3m程歩いた場所で亡くなっていました。 頭は、妻のベッドのほうを向いていました。 弱っていた子猫に、それは遠い距離だったでしょう。
何故、歩いたのかは解りません。 ただ、死ぬ直前まで必死に生きたことは確かです。
苦しくとも一所懸命に食べていた。 鳴き声が出なくても、人の方を見て主張していた。 残る力を振り絞り、最期まで諦めずに歩いた。 この子は、生き抜くことを放棄しなかった。
それに比べ、人間のほうが「生」を軽視するようです。 飲酒運転、薬物汚染、傷害事件、自殺・・・・・・ どれもこれも、命の重さを否定する行為です。
中には、死の直前に後悔する者もいるでしょう。
「俺は死にたくない」と。
でもウチにいた猫が言葉を話せたらこう言ったはず。
「生きたい!」と。
同じようで、この二つには天地の開きがあります。
僕には「死に様より生き様」という思いがあります。 前にも何度か書き、ある方のブログにも書きました。 その言葉がよぎったのは、この猫のおかげです。 子猫に教わったなんて変でしょうか?
でも猫は、いつだって自然体で生きています。 生き抜くことに正直だし、疑いも抱きません。 19日間だけの家族だったけど、一生忘れません。 僕達夫婦にとり、強く、深い体験になっています。
むしろ、人のほうが自然体から遠いかも知れない。 命の道理に向き合っていないかも知れない。 人に捨てられた猫でも、立派に生き抜きました。 少なくとも、これだけは事実です。
PS1
ちなみに、この猫はシマネコが混じっていました。 もう1匹の猫もシマネコでした。 取得したドメインも「40neko」です。 余計なことですが、思いが残っています。
PS2
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