僕がまだ小学生の頃のことです。 親族の一人が「行方不明」になりました。
その人は僕の「年齢が近い叔父」に当たる方です。 ずいぶんと可愛がってもらった憶えがあります。 そして行方不明の3年後、遺体で発見されました。 状況的には「自殺」とされています。 発見された場所、その他からの判断でした。 ただ、未だに僕の中に疑問があります。 身元確認の決め手になったものが不思議でした。 皮ベルトの下に「献血手帳」があったのです。 自殺と献血手帳がつながりませんでした。 命を否定する行為と、救う行為の履歴の相反。 これが一人の人物に同居していた。 しかも、身元確認の手がかりにさえなった。 僕には、未だに理解できないでいるのです。 僕も16歳になった頃から献血を始めました。 叔父の気持を少しでも知りたかったのです。 年に2〜3回程度を暇のある時にしています。 そろそろ80回ぐらいになるでしょうか。 でもまだ、叔父の心は探れません。 結局は、僕は叔父と深くは会話していませんから。 悩みが聞けるほど大人でもありませんでしたし。 僕にすれば大好きだった人が突然に消えてしまった。 そんな思いが残っただけです。 実の父と縁が薄いだけに、大切な人でした。 もう40年近くの日々が経ちました。 でも3月になると、毎年のように気が重くなります。 叔父の命日とされているのがその頃なのです。 これも、ただの個人的な「体験談」です。 でも、親兄弟ほどには血が濃くはない僕でも、 40年近く理解できず、また理解が恐いことです。 「人の不合理な死」は、これほど残ってしまうのです。 叔父は孤独で、辛かったのかも知れない。 そのような事実を、大人になって聞かされました。 でも会いに来て欲しかったですよ。 子供の僕でも、笑ってあげることぐらいできました。 一人じゃないことを解ってもらえたかも知れない。 それが今でも、時々ですが残念に思います。 |